楽器集めお疲れさまです。まずは恒例のイイネのお礼をば。皆さまいつもありがとうございます。
コメントくださった方へは、この記事の最下部で個別にお返事させて頂いています。
また、わざわざ(デフォルトのまま送信出来ます)を消して送ってくださる方もありがとうございました。お手間お掛けしました。
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さて、現行イベントはのんびり出陣で大包平の育成をしています。
初陣、特、初誉をすべてこの里で飾った彼にとっては里が第二の故郷的な感じに思えたりするのでしょうか。
現在Lv.39、楽器目当てで超難周回のため隊長固定、同行者は燭台切、膝丸、蛍丸、次郎、青江の高レベルお兄さん達で固めました。
まさに修行のための里入り、新人研修と言って過言ではありません。強くなってね。
そういえば大包平のwikiに昭和42年文部省が6200万円で買い上げと書かれていました。チョコボール発売の年らしいです。
かけ蕎麦60円/杯(http://www2.plala.or.jp/yoshidaya/nikei-shouwashi.htm)、今で大体250円/杯とすると、現在価格だと2億5830万円くらいです。
じゃあ価値は○○円なのね!じゃなくて、多分これ以上は省が潰れるからって感じなんではないでしょうか。
天下の文部省にこのくらいの規模の額を出させた大包平様をはじめ、刀剣たちを呼び捨て連呼するのは本当は恐れ多いんじゃないかと今さらながら冷や冷やしています。
我々の次元から見れば擬人化キャラクターですし、別物なのは分かっていますが…。世界に生きている「審神者」からしたらどうなんでしょうね。
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本題です。少し予定があるのでここらで一度じっくりと鶯丸について思いを馳せていきます。
※いつも通り来歴や史実に関しての鵜呑みは禁物です。セリフ・回想バレに気を遣っていません。ご了承ください。
はじめに
鶯丸は、非常に掴みどころのない刀剣男士である。来歴や歴代の持ち主、命名に関するはっきりとした逸話もない。
本人もまた大包平を観察するという従属的なスタンスにあるのも問題である。
よってまず資料としやすい台詞と回想から鶯丸についての分析を行う。それらを元に史実を絡めて鶯丸がどのような刀剣男士なのかを解析し、今後の創作活動に生かすことを本考察の目的とする。
鶯丸と言葉
鶯丸の台詞から鶯丸がどういった印象を他者に与え、自分の立ち位置を決めているのかを推論を交えて考察する。
『』の中が想像する審神者の問いかけ(口調不問)、このやり取りに対する両者それぞれの意図などを下段に記述している。
1.『今、何を考えていますか?』「何を考えているかだって?そりゃあもう、…」
審神者:鶯丸が何を考えているのか表情からは読めないが、訊ねれば答えてくれるはずだ。
鶯丸:聞き返しには「また訊くのか、審神者も飽きないな」か「いつ訊かれてもそう変わらないぞ」といった風情が感じられる。声色から不快感はないのが分かる。感動詞的に用いられている「もう」は恐らく2:8で審神者:大包平に掛かっており、両者への親しみはあるようだ。
2.『人の身を得た今、何をしたいですか?』「俺? 俺はそうだな…」
審神者:刀の時分には出来なかったことを楽しんでほしいと望んでの発言か。とすると鶯丸は諸々の趣味や食事に対しての関心が薄く、審神者が都度話題に出して興味を惹こうととしているのか。
鶯丸:審神者と話題のスケールが食い違っているのに気付いていない。第一に歴史修正主義者と戦う使命、次に己を何に使うかといった質問だと受け取ったか、スケールがやや広い。
1と併せると、鶯丸は普段から人当たりが良いがやや浮世離れしており、食事や入浴などの人間生活一般に関してはもし必要がなければしないといった風なのだと考えられる。
3.「まあ」
まあ の意味[副]
A とりあえずするように勧めるさま。何はともあれ。まず。
B 結果に自信を持てないが、一応してみるさま。とにかく。
C 多少のためらいをもちながら、意見を述べるさま。
D 十分ではないが、一応はがまんできる程度であるさま。
(デジタル大辞林より https://dictionary.goo.ne.jp/jn/)
現在確認できるだけで54回の発言のうち6回。この割合はやや口癖の部類である。
「自分でもよくわからんが、よろしく頼む」はA、明らかにBに分類されるのが「せいぜい期待に添えるよう」、「たまにはのんびりするといいさ」「実感は無いな、そんなもんか」が恐らくC。他はDと考えられる。
すなわちこの口癖から、まず完璧主義者ではないことと、「主観の大きく関わる(命を大事にする等一般論がはっきりしたものでなく、審神者がたまにのんびりする等の賛否が分かれやすいものに対する)自分の意見に対しやや自信がない」「刀剣として使われたいと望んでおり、審神者の命ならば納得いかなくとも取りあえず拝命する」の3つのヒントが抽出出来る。
また、審神者に対しては比較的柔らかな口調で接するが、同輩や戦闘相手に対しては命令口調である。加えて負傷時の台詞が「うっ……、心配しないでも大丈夫/茶を飲んでいる…邪魔するな」と、前者はまるで作ったような言葉を吐いており、後者は茶を口実に近づかせまいとしていると取れる。
すなわちベースは不遜な口調であり、審神者に対してだけ柔らかく接していて、負傷で取繕う余裕がない時は不敬のないように審神者を遠ざけているのだろう。
鶯丸と茶
茶は嗜好品である。しかし前項では、鶯丸は事や入浴などの人間生活一般に関しては淡泊ではないかと述べている。
この矛盾を解消するため、以下に仮説を立てた。
嗜好以外に用途を持たない茶を嗜むことで、指摘されがちな淡泊さを改善しようとしたら良さに気付いた、というものだ。
つまり鶯丸は嗜好品として茶が好きであると同時に、審神者が気に掛けるほどに自分の男士として欠けている部分への埋め合わせとして茶を好んでいるのではないだろうか。
とすると、万屋での茶を所望する台詞にも説明がつく。
茶は美味しい、良いものだという認識があるから、主君に淹れよという店側への要望が一つ。
それから買い物や本丸の外への関心が薄い自分を審神者や他者に気取らせないようにするため、誤魔化させて欲しい心がどこかにあると考えられる。
茶を啜っていれば人間のように見える、そうしたら審神者は安心して刀剣の自分を使ってくれる。
茶も不別に味いものではないため、まさにいいことずくめだ。
茶でなければなかった理由はないし、生来彼は完璧主義ではないから、茶の銘柄や淹れ方の良し悪しでえり好みをすることはないのだろう。
古備前の刀たち
刀派古備前は備前伝の始まりであり、祖を友成、興りを古青江派と同時期の平安時代中期(987-989)とするが、現存する刀は平安時代末期からのものとされる。(wikipediaより https://ja.wikipedia.org/wiki/古備前派)
なお同一名の作者が複数いるとされ、「友成」もまた一人ではないようだ。だから「古備前派の刀工の太刀」といった曖昧な表記をされたと推察される。
よって太刀 銘「備前国包平作」名物大包平と銘「備前国友成」名物鶯丸は現存する古備前派の太刀としてかなり近い時代に打たれた。刀工は同一ではないが間違いなく同郷であるといった曖昧な関係性なのだろう。
粟田口吉光作の刀剣たちが純粋な兄弟なら、古備前の2人は兄弟ではないと言える。しかし鶯丸は大包平を「兄弟」と形容した。この一言も、微妙に自信のなさげな物言いである。
回想「童子切はどこだ?」での鶯丸の口調は、審神者の関わる平素のそれとは大きく異なる。親しみを込めたぞんざいさがあり、口癖として出てきがちな「まあ」に代表される自信のなさそうなセンテンスが一つもないのだ。
ここにあるのは礼儀という一つの枠を外した関係だ。「兄弟」という認識を大包平と共有していないが、鶯丸はそうありたいと望んでいると言えるだろう。
大包平は1600年代から池田家に伝来する以前が不明だが、現存の保存状態から余りあちこち持ち出されずに大切に扱われてきたと考えられる。
一方の鶯丸は1441年まで足利義政から小笠原政康へ、1736年徳川吉宗により台覧に供され、明治維新後は宗伯爵家、後年秋元子爵のもとに移り、さらにその後田中伯爵のもとへ移る。明治40年(1907年)11月14日、明治天皇へ田中伯爵より献上される。(つるぎの屋 https://www.tsuruginoya.net/stories/uguisumaru/より)
二振りは所有者が揃うことなく今日まで来たにも関わらず、鶯丸がこれほど大包平を構うのは共有出来ない感覚を確認したいからだ。
時の流れの中で数を減らした同郷、さらに少ない銘持ち同士としての絆を大事にしたいと鶯丸は思っているのだとしたら、鶯丸はなんと親愛深いのだろう。
大包平は天下五剣の方に執心していることから、刀剣特有の望郷ではなく鶯丸個人の感情から来るものである。そして鶯丸は自分の想う同郷への親しみと、大包平のそれに温度差があるのに気付いているはずだ。
確認出来ない臆病と、それでも大事にしたい気持ちを持ち前の「まあ」で誤魔化して飄々としているのが、きっと鶯丸の心なのだ。
鶯丸の魅力
鶯丸はどういった男士か、ここまでの考察を踏まえてまとめた。
1.温和で人当たりが良い、所謂8割主義者。礼儀正しい。
2.意識は刀剣男士としての比重が高く、人間生活の真似事には関心が薄い。
3.他者への気遣いを怠らないが、やや行き過ぎな程に気遣いを悟られないようにしている。
鶯丸は柔和で気楽で、そして敬意を忘れない人格の出来た男士だ。これは間違いない。
他者を気遣い、故郷を偲んでもそれを相手に押しつけないのは持ち前の優しさ故だろう。
小鳥の羽毛や、のどかな春告げや、可愛い梅の花を連想させるその温かい強さは、彼の大きな魅力だ。
だが裏を返せば対人関係において臆病で、一言相手に確認すれば済むようなことが確かめられない。
これの派生として気遣いをひけらかすのは恩着せがましかろうとか、心配を掛けてはいけない等があり、つまり完璧主義でなくとも適当とは行かない、根は真面目なのだろう。
彼にとって理想的なのは、自分の望む答えを相手が自ら返してくれること。だが理想のためにあくせくしないのは、彼が完璧を求めないから。
どんなに自信がなくても口に出すのを止めないのは、理想が叶うようにとの願いを込めた彼の小さな「無理」なのではないか。
その積み重ねで生ずる自分の気持ちや想いを軽視しやすい傾向が、もう一つ魅力だと考える。
ただし、刀剣男士として使命を果たさんとする姿勢と古備前が一振りとしての誇りが芯にある。
また上記の瑕疵すらも隠そうとする心理がほぼ本能的に働くので、ますます鶯丸はミステリアスになる。
そうして我々はまたお茶を濁されてしまい、彼を知ろうと同じ問いかけを繰り返してしまうのだ。
今、何を考えていますか?、と。
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こちらこそいつもお世話になっております。
特に中敷き氏は(わたしの中では)布被り第一人者といった印象でいますから、もしかしたら勝手な妄想は嫌がられるのでは…という恐れもありました。とても安心しています。
中敷き氏の語りも是非、折りに触れ聞かせて頂ければ幸いです。
言葉に出来なくても何か言いたい、そんなモヤモヤした気持ちでもいいんです、嬉しい!
骨を鳴らして一曲演奏したいくらいハッピーです!
コメント、イイネ、ありがとうございました!