大阪城お疲れさまです
50階半ばで疲労がピークに達した鶴丸・同田貫が重傷、鶯丸が中傷とズタボロにされたため、結局1軍を投下し余裕をもって踏破。
今は信濃を探して30階をうろうろしています。現在20何周目ですが、まだ見つかりません。
そんなこんなで無事前田君が修行へ旅立ちました。
大阪城風の背景を背負った長谷部とお見送り。お前はこんな時でも自分の役目の心配しているのか…。
…一つ気になったのですが、この背景どうして長谷部の方が上座になっているんでしょうね?
「審神者」「政府」「刀剣」考え過ぎると怖いです。創作は捗りますが…今後それらは何なのか明かされたりするんでしょうか。
花丸は特に何の説明もなかったようです(というのも未視聴でして…)、活劇ではその辺触れられるんですかね?
Skypeをしていた友人と無理矢理辻褄を合わせた話。
1.そもそも畳の1畳がやけに広い+この敷き方だと主の座る位置が畳の継ぎ目に来てしまう→下から刃が出て来て審神者が暗殺される恐れがある。
なので近侍は審神者が上座に行かないよう立ちふさがっている説。
2.これはよく出来たホログラムで上座に見えているのは審神者だけ。→なのであの位置に行くと池に落ちてしまう (近侍には審神者が池に入ろうとしているように見えている)ので止めようとして立っている。
3.審神者は主君と呼ばれているが親しみを込めたコードネームのようなもので、立場はむしろ刀剣より下にある。
どれでも美味しいですが政府陰謀説はロマンがありますね。考え過ぎですかね。
実写版「美女と野獣」観てきました
映画館の都合で吹替版だったのでその前提でお読みください。
一切ネタバレへの配慮をしておりません。まだご覧になっていない方はご注意ください。
エマワトソン演じるベル、とても美人でした。意思と知性を感じる美人でぴったり。ハマっています。
アップになるとそばかす(天然?メイク?)が浮いてるのが分かります。それが逆にフランスの乙女って感じでとてもよかったです。
全体的に画面がアンティーク調、ゴールドがしっとりと輝いていて高級感があります。
シンデレラが「キラキラ」なら美女と野獣は「ツヤツヤ」でしょうか。
ビーストキャッスルはフレンチ・ロココ調、超ゴージャス宮です。ぶっちゃけやり過ぎなくらいゴテゴテなんですよ。
だけど色調が上品だから纏まっていて、ベル達の飾らぬ美しさを引き立ているような感じでした。
実写だけどファンタジックで作りものめいた雰囲気がまさにディズニーでした。ここの実写は本気が感じられていいですよね。
それからキャスティング。シンデレラの大佐もそうでしたが、準レギュラー的な立ち位置の人の肌の色が濃いんです。
8割羽箒と衣装箪笥なのであまり印象はないかと思われますが、プリュメットとマダム・ガルドローブが今回このポジションでした。
単一民族国家に生きているとあまり実感は湧きませんが…その辺意識してキャスティングしたんじゃないか?と勘ぐっています。下世話でしょうか…。
お気に入りのキャラは燭台にされた口達者な給仕頭「ルミエール」とガストンの腰巾着「ル・フウ」。
ルミエールは動きが機敏でコミカル。特に蝋燭が消された時に腕を一振りして着火した後、頭上の蝋燭にそっと移し火をしている動作が特にイイです。
あと口調。吹替え版の役者さん本当に良かったです。少し気取っているような口ぶりがフランス人(偏見ですよね…すみません)っぽい。
コグスワース(同僚。友人…?)に対して「Mon ami(愛してる友よ!)」と言うのが大げさで、またこれがイイんですよね。気障で品のある男です。
それとコグスワースとのコンビっぷり、プリュメットとのバカップルぶりに、彼の心の美しさや人間的魅力が認められているのを感じます。
コグスワースを揶揄う(「さっぱり仕事がなくて動かない、だから腹が出る」「君の時計が合っているのは一日二回」など)シーンがいくつかあるのですが、 コグスワースのことも、それから観ているこちらも不快にさせない軽快なジョークです。
何て言うんですかね、テンポがいい。教養があるのでしょう。なんたって王族の給仕頭ですからね。
「教養」と「反省」、そして「人の本質に迫る気付き」はこの作品の大きなテーマです。
ル・フウめっちゃ歌上手いなと思っていたら吹き替え藤井隆さんでした…。MMD界隈ではOH MY JULIET!でおなじみの人です。
それから衣装…沢山のボタンが付いた(あの体形をした彼の)身体にぴったり添うシルエットは、立体縫製の粋です。
大量生産が始まる前、採寸をしてオーダーするのが当たり前だった時代の香りを感じて感動しました。素敵。
そう言えばベルのドレスは彼女の動きを妨げないよう、コルセットが要らない形にしたのだそうです。
パンフレットによるとサテンのオーガンザ約55メートル…多分クリノリンも入っていません。すっごく軽やかです。最高でした。
話が逸れました。
ル・フウは文字をよく知らないのだとありました。だからガストンの綴りもちょっと不安げ。
(GASTTONではなくGASTONなので最終的に間違っています)
それでもって腰巾着です。
ガストンが思い通りにならないモーリスに怒って夜の森に縛って置き去りにした一部始終を見ていたはずなのに、 強く止めなかったばかりか、証言を求められた時もガストンに怯えて真実を言いませんでした。筋金入りです。
それと印象的なのが、ベルに入れ込むガストンに対する台詞「だって彼女は口が立つ」といった台詞です。
自分が語彙が多くて気丈なベルを言い負かせなさそうだから、そういった発言が出たんですかね。女の賢さは鼻につく、だなんて18世紀らしいと思います。
誰もがベルを変わり者だと謗るのは、理解出来ないからでしょう。多分。
文字が読めること、教養があることの大切さやその価値を知らないと、ただ時間の無駄で「おかしな」ことになってしまうのです。
別に良い悪いの話ではないです。そういうものなんだなあと映画という俯瞰の視点で、納得させられたとでも言いましょうか。
城に押し入った村人たちのシーン、結局ル・フウはポット夫人に手を貸して村人を追い払うのに一役買っています。
これは彼が意志薄弱という訳ではなくて、元々ガストンのことは嫌いじゃないけど時々付いていけないな…と思っていて、今回改めて「自分の頭で考えた」結果なんだろうと。
隣にガストンはいません。ル・フウには押し入る理由はありません。村人は他人の城に突然押し掛けて暴れているだけです。
状況を見て、ポット夫人に選択を迫られて(ここで一人で結論を出せないところが彼らしいのですが)、自分が今すべきだと思ったことをしたんです。
このシーンで印象的な人がもう1人。この青年に名前はあったんですかね…村人モブ三銃士の一人です。
衣装箪笥のマダム・ガルドローブの反撃に合い、18世紀フランス上流階級女性(マリーアントワネットとか想像してください)の服装にされてしまう三銃士。
二人が泡を食って逃げ出す中、彼だけは何だか面食らったような、何かにピンと来た顔をして、そして満足そうな表情で踵を返しました。
ドレスの裾を踏まないようにちゃんと持って、慣れないヒールで歩きにくそうながらも、脱げないように階段を降りたのです。
彼もまた、狭い村の中で違和感を感じていた一人だったのかもしれません。
最後の舞踏会のシーン。さすがに女装はしていませんでしたが、彼はル・フウと踊っていました。「気付いた」んでしょうね、きっと。
モブと言えば、村人の中でもかなり強硬派で決戦直前にガストンと目を合わせた痩せた壮年のマダムがいました。
もういかにもキツそうな表情で、ベルに対しても強い当たりで接しています。
彼女終盤でコグスワースの奥さんだと判明するのですが…。
城の人々の記憶が呪いで消されていた間、彼女の中で夫は蒸発したということになっていたのでしょうか。
だからあんなに不必要なほどカリカリしていたのでしょうか。一人の傲慢が名前もない一人を不幸にしたのかと思うと、心にチクチク来ます。
彼女がラストで楽しそうに夫とダンスを踊っていたのを見て、少しホッとしています。
ポット夫人は元々賢かったか?というと教養はあったでしょうが、彼女も間違えました。ポットにされて初めて己の過ちに気付いた一人です。
何をしたら呪われるほど傲慢になってしまったのかというベルの問いに、彼女らは「私たちが何もしなかったからだ」と答えました。
原作にこういった野獣にまつわるバックボーンはあったでしょうか…。
ちょっと記憶にないのですが、きめ細かな理由づけがそこかしこに散りばめられていて、非常に納得できるシナリオ構成でした。
理由づけは他にも。
ベルが城を飛び出して狼の群れに襲われた時に助けに来たのは、「出て行け!」が本心からの言葉じゃなかったからであり、 使用人たちにせっつかれたからだろうと想像出来ます。
と言うのもその前に一緒に食事をしようとベルを誘ったシーンで、彼がそう頑固ではないのと、ポット夫人の勧めが決め手だったのを知っているからです。
看病の口喧嘩シーン良かったですね。言いたいことを言うけれど、お互い自身を否定する言葉は絶対吐かないんです。
他人を尊重する人間性は元々の人格にも依りますが、教養あってこそかなと思っています。
図書館を丸ごとベルに贈った時、ベルが狂喜乱舞するのを見て野獣は自分の図書館の価値に気付きます。
二人が庭を散歩するシーン、ベルが冬の景色の美しさを形容する一説を読み上げるのを聞きながら、見慣れたはずの呪われた氷の庭園の美しさに気付きます。
彼は「こんなに美しい光景を初めて見た」と零しましたね…。
そして極めつけは食事。深皿に顔を付けてズズーッベチャベチャッと、まさに獣の食事だった訳です。
明言はされてないので推測ですが、そんな有様をベルに見せるのが恥ずかしいと思うようになったんですよね。多分。
だけど自分の手ではスプーンを持てないで困っていると、ベルが皿を持ち上げてスープを飲んで見せてくれます。
フィンガーボウルを飲み干した客人が恥を掻かないように自分も飲み干したお姫様の逸話を思いだしました。優しいってこういうことなんですね…。
BEAUTY AND THE BEASTが”BELLE” AND THE BEASTでも”PRINCESS” AND THE BEASTでもないのは、 「美しさ」とは何なのかを考えて欲しいという願いなのではないかと深読みしています。穿って見すぎかもしれません。
気づいた、思い出した彼は「もう野獣ではない」のです。これ惜しかったです。
「Beauty」を「美女」、「Beast」を「野獣」としか訳せない日本語がもどかしい!語呂はいいんですけどね。
ガストンとのやり取りで彼が英語で何と言っていたのか、それだけ知りたいので円盤買うかもしれません。
サントラとパンフも買って帰ってきましたし、KH2のBGMまでHDひっくり返して探してきました「Waltz of the Damned」と「Dance of the Daring」…!
異種婚姻譚の気の強い(と思い込んでいる)膝さにへの一つの光明を見た気がしたんです。あとやっぱり薔薇のモチーフが好きなんですよ。
しばらくハマってそれっぽい絵とか描いてたら笑ってください。ワハハ