お疲れ様です。バレンタインお疲れ様でした。
リムジン彦ガチャは1枚取れましたが、既に予算を超過したので今少し頭を抱えています。びっくりするほどかっこいいんだもん…;;
表題の感想と、ソシャゲの二次元アイドルを推すことについてのあまり明るくない話です。
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芥川賞は時々よくわからん基準で選書をしているので、表題の作品が選ばれても特に驚きもしないです。むしろ、かなり、納得しています。(レビュー見るとこんなライト・幼稚な話が芥川なんて~という意見もあるようですが…そもそも芥川龍之介だって当時にしてはライトな感じの話を書いていたのでは…詳しくはないですが…)。宇佐見りんの「推し、燃ゆ」読了です。
「ネガティブ」「現代的」「リアル」「病理と共感」キーワードはこんな感じでした。いろいろ書いていますが、一時でも一つの偶像にお金をかけたことのあるオタクは絶対読むべき。
主人公のあかりは「普通のことが上手く行かなくて」、「その皺寄せに苦しんでいる」(具体的な病名は伏せられています)通院歴のある発達障害です。日常生活や学習に支障が出ている程度には重度のようです。でも普通高校に通っていて、就職や自活を家族にせっつかれている描写が正直すごく苦しいです。あかり自身も認識していないのがさらっと描かれる文脈から伝わって来ます。正直あかりは「ぼんやりしている困った子」で済まないレベルで病気ですし、無理解という暴力が良くなろうとか生きやすくなろうとか、そういったポジティブな動機すら感じる間もなく打ち砕いていく。読んでると気分が悪くなるのも然もありなん、鬱病患者の思考など軽々しく覗き込むものじゃないからです。
あかりは「推し」を「背骨」と表現します。宗教でも希望でもない、「推し」がいることで二足歩行で辛うじて人間の体を保てるのだと。自分の根幹を自分で賄えず、曖昧な偶像に依存する不安定さは病的で、そして共感します。推しを推す行為にストレスを感じていない訳ではないけれど、像をくっきりさせて、一番最初に共感/共鳴した(推しに落ちた)瞬間から地続きに、理解を深めて自分と同化させようとしている。資料を集め、考察ブログを書き、背骨の輪郭を限りなくシャープにしていく。推しを推す行為に何を求めているかは人それぞれで、これはある意味一例なんでしょうね。どのオタの中にも(程度に差はあれ)こういう人はいるんでしょう、きっと。
似た感じの作品として、ピノキオピーの「ラヴィット」という曲があります。これは「推し」を推す自分が推しだし、自分を推させてくれた「推し」も推し…な、本当の愛とは何ぞやといった曲なので、これもまたオタクの一つの動機とあり方の例です。にわかでも、理解出来なくても、不純でも、一瞬でも、あなたを推したその気持ちは本物。そういう考え方もいいですよね。
閑話休題。
あかりは現実に打ちのめされていた時にピーターパン役の推しの姿・台詞にどうしようもなく共感したから推し始めたのであって、ひとつタイミングが合わなければ「推し」は「推し」ではなかったと思います。でも何もかもぴったりに合ってしまって、普通に見ていたらどうでもいいことすら関心ごとになってしまうのに覚えがあります。「坊主憎けりゃ袈裟まで憎いの逆で、その坊主に惚れてしまえば袈裟のほつれすら愛しく見える」。ですよね。わかります。
炎上はあくまで崩壊の引き金であって、本当はもうとっくに肉(現実/あかり)はダメになっていたはずです。後半はきしむ背骨を浮き彫りにする行為のなか、肉(現実)は削げ落ち、あかりはぼろぼろになっていきます。ぐずぐずの現実の肉をどうにか支えていた背骨はあくまでも変化する他者で、結局最後まで理解出来ない行為(炎上行為)をし、もう推せない一般人となってしまったこと。推しのようになろうとした最後のあがき(暴力)をしようとして、親を殴るでも散らかる汁入りラーメンを投げるでもなく、自然に叩きつけるものとして綿棒を選んだことに気付いたときが理解の決定打でした。あかりは背骨を失い、地面に這いつくばって綿棒を拾う。背骨もないので、この姿勢が自分に似合いだと悟る。この喪失と成長を、きっとこの本を絶賛する誰もが知っているんだと思います。
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上記の感想は、読後に散歩してお風呂に入り仮眠を取ったから他人事のように書けた内容です…。読み終わった後の一番フレッシュな感想は「私の推しが生きてなくて良かった」でした。ひどい。でも真実。
供給は少ないですが、推しが解釈違いのことをしても推しの背後のディレクターとか統括プロデューサーの思い入れも無い誰かを恨めます。劣化もしない(ビジュアルの劣化も推しのせいではなくスタッフのせいにできる)し、結婚などの「誰かのものに」もならない。存在しないしお金をかけてもあなたの待遇がどうなる訳でもないけど、それでも生きてなくてよかった。あかりの推しは結婚し、あかりはそれを何とか飲みこみますが、私はちょっとどうにかなると思います。カノバレもしかり。女優と仲良い報道とか、匂わせラブソングとかも、多分無理です。
二次元の、生きていないあなたが、生きていると感じられる成長や成就といった幸福を永遠に受け取れないのを、私は嬉しいと思ってしまう。ごめん。でもその勝手な罪悪感すら、君には関係ないんだと思うと少しだけ救われるような気がします。
結婚も炎上もしないけど、サ終はある。冷静になったらモバガチャなんて回せないし、回した後にはそんな自分に寒気がするんですけど、実在しない推しを推し続けるためにはそんなことしか出来ない。仕方ないけど、仕方なくない。でもやっぱり、生きていなくてよかったです。