片恋 / 漣P
鍵の回る音がして、漣は作業の手を止めた。素早くバスルームに滑り込むと不快な頭のべとつきを洗い流す。初めて訪れた家で、湯温の調整に手間取り舌を鳴らす。……自分らにこういった『軟弱な』仕事が回ってくるとき、かの下僕の目はいつも以上に爛々と輝く。覇王にとっての煮干しのようなものなのだろう。下僕の期待に応えてやるのも主人の務めと、いつかに渡された合鍵を初めて使った次第である。
*
「漣くん、鍵、ちゃんと失くさずにいてくれたんですね」
半端な格好でPCに向かっていた下僕が失礼なことを抜かすので、掛けていた見慣れない眼鏡をむしり取ってそのまま放り投げた。下僕は仕事にならないとボヤキながらも、拾いには行かないようだった。
「お風呂……いや、漣くんご飯は食べたんですか?」
「食いモンあんのか?よこせ」
「大したものは出ませんけどね。うどんでも茹でますか」
緩慢な動作で眼鏡を拾い上げ出ていく下僕を見送り、漣は再びバスルームに戻る。栓をして蛇口をひねるだけのあまりに簡単な、らーめん屋が時折頼んでくる作業を行う。実際、他の家に長居をしないので、下僕にこの作業が必要かどうかは知らないが。
「……いや、道流くんのしつけの効果はすごいなあ」
「ハア?」
「なんでもないです」
「オレ様に隠しごとすんな!」
「独り言ですよ、ほら、ハイ。こっちが漣くんの分です」
「いらねー。そっちにしろ」
「ええ……お腹空いてるんじゃないんですか」
下僕は打ち合わせ中によくする『訳がわからない』と『しょうがないな』を混ぜた微妙な表情で、漣の拒否した油揚げ入りの方の器を受け取った。
「あんまりにも美味しそうに食べてる人を見て、ちょっと前に買ったんですよね。つい」
「……」
「あ、箸はこれ使ってください。……ちなみにお湯を止めるのは道流くんと漣くん、どちらのお仕事なんですか?」
「らーめん屋」
「ははあ。まあ、まだもう少し掛かるかな。久しぶりだなあ、湯船」
漣の常にない動作も、今日ここにいる理由も、この下僕には察しが付いているのだろう。わざわざ問うては来ない。ぽつりぽつりと今日あったことを話す下僕の声はいつもより抑揚が薄く、漣からすればやや素っ気ないが、本人は至って自然な風だった。
「お客さん用の布団出さなきゃなあ。あと歯ブラシ?タオルは……自分で取ったんですね。大丈夫ですよ。必要なものあったら言ってくださいね」
やり取り自体は平素と変わりなく、違和感はすぐに薄れた。これが下僕の『素』なのだろう。やがて、ごちそうさま、と手を合わせて二人分の器を持って下僕は出ていった。知った顔の視線を遮るよう、つけたテレビをすぐに消した。
*
寝床の匂いが夜毎違うのに違和感はない。すぐにとろとろとした睡魔を迎えるが、背中への衝撃で突然叩き起こされる。覚醒と同時に臨界点を超えた怒りのまま飛び起きた。
「オイテメェ! オレ様の眠りの邪魔すんじゃねーよ!」
「……すみません……どうせ起こしちゃうなら電気点ければよかったです……」
漣につまずいた勢いのままベッドに倒れ込んだらしい。返ってきた声はくぐもって、ひどく聞き取りにくい。
「チッ。オレ様にはウルセーくせに、オマエはドライヤー使わねえのかよ」
辛うじて起きてはいるが、返事はなかった。
「弱いくせに」
仕方ないのでタオルで髪の水気を拭いてやれば、もぞもぞとこちらを向いて口許だけで笑っている。どうあっても目は開けられないらしい。
「懐かしいですねえ、タオル攻撃……」
うわごとのような言葉は続く。
「撮影……楽しみですねえ……。絶対、たくさんの人に、もっと皆さんのこと好きになってもらえます。漣くん、最強がもっと最強になるんですよ。楽しいですね……ずっと、もっと……楽しいことしたいですね……」
「ニヤニヤすんな、……寝ちまえバァーカ」
下僕はなおも抗うように何事か呟いていたが、すぐに寝息に変わっていった。
未だに湿気が残る髪をもてあそんでは、頭を巡る下僕の言葉をなぞる。今。休日はほぼなく、仕事関係以外の予定の匂いもせず、毎日漣たちのことで駆け回っている。対して美味くないゼリーを飲んで、しょっちゅう医者のメガネに叱られ、弁当やらケーキやらを差し入れられては困ったように笑っている。それでいて、成長や成熟といった変化を厭わないことは知っている。
だから、漣の心に柄にもなく咲いたそれを、渡すな、と。そう聴こえてならなかった。
疎ましいほど柔らかいそれを誰にも見せる気はなかった。本人には押しつけたくて堪らなかったが、同時に同じくらい、躊躇われた。
「オマエは今が楽しいのかよ」
ヤメルトキもスコヤカナルトキも一緒だと言った。それがどんな意味か結局はっきりしないままだが、傍に置く相手の『楽しい』を奪いたい訳はない。湿ったタオルを除けた漣は下僕を転がして場所を作り、そのまま隣に寝転んだ。目の前のあらわになった首筋が冷えびえとして誘うから、漣の布団にあったブランケットを巻く。叶えてやろう、『ずっと』も、『もっと』も。漣の浮きあがっては持て余す、言語化できないその感情を置き去りにして、オマエはオレ様のために尽くせばいい。そう結論付けて、漣は目を閉じた。
それでも。濡れた髪と、白い頸を見るたびに。あの少し抑揚のない声と、今夜漣だけに告げられた願いを思い出すのだろう。
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彼氏じゃないのに合鍵持ってる漣を一度きちんと形にしたいという話をしていて、このザマです。文は駄目だ。文庫メーカーもいい感じにならなかった。誤字も見つかった。
恋を知らない(概念を未だ持たない)漣の片想いを表現したつもりです。主な資料はモバカード台詞、雑誌、サイメモです。牙道と一緒にいない、信頼度の高いPと2人の時は気紛れな王様、自分より弱い身内には割と世話を焼かずにいられないけど教養はない(語彙も偏って少ない)。情緒の発達は歳相応でなく、本能で生きている。モバマスwikiのカード台詞一覧見てみてください。甘くはない…ですが、想像以上にかなりPに優しいです。夢じゃない、公式です。
作品書いたなら作品内で完結させて、後は読者の想像の余地に任せるのが良いと読者の私は思うのですが、書ききれなかった・入れはしたけど気付いてもらえるか分からないから知って欲しいが細々あるので下記にメモします。蛇足になるかもしれない。
・漣の片想いを「恋」「愛」「好」を使わずに表現
→すべての行動がPへの慈しみから来ている。
・さよならトライアングルはリリース済み、BNMイベ中の時空
・誰かさん好みのうどん、一人暮らしなのに2人分どんぶりがある、しかし客用の布団は「しまってある」
→こういうのに目が向く人は恋の概念を持っているひとなんだろうな(だから漣は気付かないし、疑わない)と思いながらエッセンスを足しました。でもたまたまかもしれない。お好きな方で大丈夫。輝とか道流は絶対気が付くし、気になると思う。
・どPに対しての性欲はあまり意識したくない(結びつけたくない)ちょっとだけの潔癖。愛と慈しみは知っているけど、やはり恋を知らないので。
・Pも別にまんざらでないというか、Pの方は漣のことずっと幼いと思っているので結ばれるまではちょっと掛かりそう
四苦八苦しましたが絵では難しいテーマだったので、いい機会でした。お粗末様でした。